2013~2017年に「月刊モーニング・ツー」にて連載された大人気漫画「先生の白い嘘」
男女ともに性に対してかなり踏み込んだ作品になっていますが、この作品のどんな意図で描かれた作品なのか?
作者の鳥飼茜さんは様々なところでインタビューをうけていますので、そのインタビューの内容から「先生の白い噓」という作品を深掘りながら作品の意図を考察していきたいと思います。
初版発行日 | 2014年2月21日発売 |
作者 | 作者:鳥飼茜 |
巻数 | 全8巻(コミックス) |
ジャンル | サスペンス |
Wikipedia | 先生の白い嘘のWikipedia |
鳥飼茜さんはどんな人?
パーソナルな面と職歴的な面から鳥飼茜さんがどんな方なのかを調べてみました。
プロフィール
1981年8月13日生まれ
大阪府出身
京都市立芸術大学卒業
2008年に結婚し長男を出産。2010年に離婚を経験しており、その後漫画家である浅野いにおさんと2018年に結婚、2022年に離婚
代表作&略歴
デビューは2004年「別冊少女フレンド DX ジュリエット」でデビューし、読み切り漫画を掲載
代表作は2010年から「モーニング・ツー」で連載した『おはようおかえり』
その他にも『地獄のガールフレンド』『おんなのいえ』などをリリースしており、女性の心の機微を描き出す力は高い評価を得ています。
早藤を赦した経緯は?
「先生の白い噓」の中で最もインパクトを残した人物、悪事を働いたと言ってもいい人物である早藤の最後について語られていますので、その結末についてのサイゾーウーマンで受けたインタビューを見ていきたいと思います。
早藤がどんな人物なのか、人物考察などについては以下をご覧ください。
――『先生の白い嘘』が完結しました。最後は早藤を罰するような展開にもできたはずですが、そうしなかったのはなぜですか?
鳥飼茜氏(以下、鳥飼) 賛否両論でしたね。当初は早藤を“阿部定”的な感じにして、びしゃーって血が出て終わり、っていうラストを考えていたんです。そういうノワールっぽいものをやりたかったし、偽善的になるのだけはイヤだなと思っていたけど、結局は偽善的になってしまったという(笑)。どうですかね?
――いや、これは偽善ではないですよ! 最終盤の演説は感動的でした。
鳥飼 それは私を贔屓目で見てくれているから(笑)。エゴサーチしてますけど、だいたい4割はがっかりしてます。
――男を赦したように見える展開にでしょうか?
鳥飼 そういう意図はないんです。「クイック・ジャパン」の特集の中でマンガ家の入江喜和さんが「鳥飼作品の魅力は、怖いぐらいダメな男性陣と、美しくて女くさい女性陣。『先生の白い嘘』の早藤や、『おんなのいえ』の川谷さんは、一見真逆に見えるけど、ふたりとも女性に甘えているという根っこは一緒」ってコメントをくださって、私はそれに衝撃を受けたんですね。私は「男はひたすら甘え倒す生き物である」というところから離脱しきれないんです。なんかもう救いようがないって思ってるんです。
――逆に、女には救いがある?
鳥飼 女の人は自分で立ち直れる力があるんで。パートナーがいなきゃだめ、とか、スペックのいい人と結婚しなきゃだめ、とか、そういうのは飽くまでも外部の声で、攪乱されがちではあるんですけど、ほかの女の人と比べたりとか、本当は別にしたくもないんですよ。本来的には、女の人は強いって思っていて。「強い」って言うと陳腐だな……ハードボイルドなんですよ。男の人に対してそれは感じない。「お前らいつもいいとこで逃げやがって」っていう。
――早藤を赦したわけでも罰したわけでもない?
鳥飼 早藤があそこでチンコ切られたからって、それは絵的にはスカッとするでしょうけど、例えば極悪人が死刑になればスカッとするんですかね。物理的な罰がもたらすスッキリは一瞬のことで、本質的な解決ではないと私は思うんです。死刑にしたいって気持ちはわかりますけどね。「最悪のまま生き抜く」っていう方が、罰としては意味があるのではと。
引用元:サイゾーウーマン(https://www.cyzowoman.com/2017/12/post_160778_1.html)
短いやり取りではありますが、鳥飼茜さんの考えが伝わる興味深いインタビューですよね。
鳥飼茜さんとしては「早藤を赦した訳ではなく、より重い罰を受けさせるために物理的な罰を避けた」という事ですね。
一般的には暴力的な仕打ちを受ける事が罰だと思われがちですが、それでは一時的な苦しみで終わってしまう。
”そんな簡単な罰では許さない!一生をかけて償い続ける地獄を味わえ!”
という意図が早藤の結末と言う事になります。
【MOTOの意見】
私は40代の男性ですが、主観的な意見を言わせて頂くと「男はひたすら甘え倒す生き物である」という点がピンときませんでした。
男はいいところで逃げていると鳥飼さんは仰っていますが、立場と視点の違いみたいなものがあるような気がしますね。
私がサラリーマン時代におっさん達が集まる飲みの席とかに参加すると「女は楽でいいよなぁ~」的な話がチラホラと出ていたような気がします。
男性が考える逃げ道と女性(鳥飼さん)が考える逃げ道の概念が違っている以上、双方が交わる事はなかなか難しいのではないかと思います。
逆に考えるとこれだけ価値観とか思考(脳)の造りが違うのに繁栄を続けてきた人類って凄いなと思ってしまいます。
男性と女性はお互いを理解する事は出来るのか?
サイゾーウーマンでのインタビューは早藤の話から男性と女性の関係性やお互いを理解できるのかという点について語られていますので内容を確認したうえで考察していきたいと思います。
――女性にとって男は敵なんでしょうか。
鳥飼 私の場合恋愛って、いつも最終的には、勝手に女軍vs男軍みたいになるんですよ。家庭や育ってきた環境の中とかで男と折り合いをつけてきた経験がないと、いつも「なぜだ?」ってなっちゃうんですよね。理屈じゃない部分がどうしてもわからなくなる。そういうときに、女が身を引いた方がトクだと経験則から気づいても納得できず 、自分の体の中に「なんで私が引かなきゃいけないの?」とか、「なんでそういうところに薄着で行った女が悪いって言われなきゃいけないの?」とか、そういう「なんで?」に、いつまでも折り合いがつけられなくなる。そうすると男の人が生まれ育った文化とか、家族とか、全部ひっくるめて否定するようになっていくから、「だって俺はこういうふうに生きてきたんだもん」という相手男性に対して、女軍vs男軍って構図になっちゃうんですよね。どうやったら戦争じゃなくなるんだろうっていうのは、いつも思います。
――休戦状態を続けること、ですかねえ……。
鳥飼 その休戦状態を続けるために、男の人をどうやってそこに持ち込むかっていうと、お互いに満足している状態というか、ストレスのない状態を続けることに尽きるんですよね。ほんとにそれしか答えがなくて、どんなに満たされた人にも、やっぱり男女間の歪みってあるから、絶対戦争になるんですよ。どうしても、そういう消極的な方法になっちゃうのかなあ。終戦はしないですよね。
――私の場合は子どもができて休戦状態が安定しました。
鳥飼 子どもができて、より戦争が悪化する場合もありますからね。私がそうでしたけど。なぜ女ばかりがこんな仕事しなければならないのか、って気持ちに簡単になりますから。特に子どもを持つ女の人は、「お前は女である」ってことを世の中から強いられまくるんですよ。性に縛られず、自由に生きてきたつもりだったけど、自分はまったく女性なんだって。そういうときにお互いが休戦するしかないっていうのは、処方箋としてはもうそれしかない。
引用元:サイゾーウーマン(https://www.cyzowoman.com/2017/12/post_160778_1.html)
ここも短いやり取りではありますが、鳥飼茜さんの考えや価値観が良く伝わりますね。
ちなみに阿部定とは、愛人であった男性を殺害し、男性器を切り取って持ち去り、大きな話題となった事件の加害者の名前です。
ここも40代男性である私が主観たっぷりに感想を述べていきたいと思います。
【MOTOの意見】
鳥飼さんは『理屈じゃない部分がどうしてもわからなくなる』という言葉を残されていますが、一般的には男性の方が理屈っぽくて、女性の方が感情的だと言われている中でのこの言葉は非常に興味深いと思います。
結婚生活での経験談になってしまいますが、女性が持っている理屈と男性が持っている理屈が違うのだと思うんですよね。
ここの理屈の違いには性差や男女による遺伝子構造の違いなどはあると思いますが、社会的に期待される役割の違いも大きく影響していると感じます。
女性が子供を持った時の大変さは重いものだと思いますが、男が社会から離れてはいけないという圧力も重いものなんですよね。
すごくざっくりと言ってしまうと男女で違う種類の苦労や辛さを抱えているのだと思います。
ただ双方に自分が自身の辛さにしか身を置いていないがゆえに相手がやっている事が楽に見えてしまい、争いが起こるのではないでしょうか。
男女が違う苦しみを抱えている時点で鳥飼さんのインタビューで言われているように終戦という事は難しく、いかに休戦状態に持ち込むかというのはとても大切な考え方だと思います。
個人的に休戦状態でいられるための要素は3つ
- 共感する事は出来なくても、それぞれで苦しみを抱えていることを理解すること
- 不満に思う点以上に感謝するべき点が多い事を理解すること
- お互いに程よい距離感、いい意味での無関心さを持つこと
こんなことが思い浮かぶいますが、綺麗ごとなんでしょうかね~
パートナー選びについて重要な事は?
続いて鳥飼茜さんが思うパートナー選びについて重要な事についてAM-OURで受けたインタビューを見ていきたいと思います。
――前回、パートナー選びで一番重要なのは、結局“かわいげ”ではないかという話が出ました。相手に対する不満や衝突は絶対になくならないけど、最終的には“好きだから許せてしまう”関係かどうかが相性だ、ということでしたね。
鳥飼茜さん(以下、鳥飼) そこめっちゃ重要ですよ。でも、その“かわいげ”を発揮するには、自分に自尊心がないとダメだということに最近気付いたんです。
たとえば、“ぶりっこ”って自分のことをかわいいと思ってないとできないじゃないですか。ベースの部分で私はちゃんと愛されている、認められているという自尊心があるから、なおさらかわいく振る舞えるという良いスパイラルがあるんですよね。
でも、「私おばさんだし」とか「どうせお腹出てるし」みたいな、どうでもいい外からの価値規範で自尊心を削られると、どんどん自信をなくして卑屈になって、“かわいげ”をふりまく余裕がなくなっちゃうんですよ。
――どうすればその自信を持てるようになるのでしょう?
鳥飼 40代、50代になると、積み重ねてきた人生経験がイコール自信となるのか、自尊心をいい具合に保っている方が多い気がします。年を重ねた人ならではのかわいさってあるじゃないですか。「ここで逆に甘えてもいいでしょ」みたいな振る舞いが、自然にできるようになったり。
30代って、若さや容姿では20代に負けてしまうけど、まだそこを捨てたくないというプライドもあって、ちょうど自尊心を削られやすい狭間にいるのかも。男性がちょっと「若い子がいい」と言っただけで、イコール「お前はダメだ」と言われているように受け取ってしまったり。
そんなことでどんどん卑屈になっていくのは悲しいので、そういう言葉には耳を貸さないようにするのがいいと思います。思いつつも、引っ張られるんですけど。
――30代は、「若い子がいい」という世間の規範や目線を引きずって、一番自尊心を削られやすい時期なんですね。
鳥飼 すごく嫌な言い方ですけど、自分を若さや容姿といった“商品価値”ではかるのは本当によくないです。自分が“選ばれる対象”でしかないと無意識に思っていると、どんどん卑屈になって自信を失う一方ですよ。自分も“選ぶ主体”だと思っていいんです。
自分も相手を選べるし、いくつになっても自分から気になった人に声をかけていいし、それで振られるかどうかはそのときのタイミング。「自分は好きな人に好きと言う権利がある」と思うだけで、すごくラクになる気がします。
――好きな人と一対一の関係になってからも、自分は“選ぶ主体”だっていう意識は大切ですよね。
鳥飼 そう、「選んでもらった」という意識でいると、それって付き合ってからも続くから。年々、自分の価値だけ下がっていく気がして、「どうせ若い子に乗り換えられるんじゃ……」って思っちゃったり。そういう卑屈な気持ちにならないように気をつけるのも自分だから。
――30代からの恋愛を考えるうえで、“自尊心”ってすごくキーワードになりそうですね。
鳥飼 女の人って、自尊心がすごくないんですよね。私も、自由で偉そうにしているように見えるけど、すぐにペコンってへこみます。かといって、男の人が自尊心にあふれているかと言ったら全然そんなことないと思うんですよ。
ずっと同じ会社で生きていくのも、いっぱい稼ぐのも、誰かを養うことも難しいから。お互い自尊心がない状態で、表面上でプライドを競り合っていて、全然中身を見合う機会がないんじゃないかなと思います。
――“好きだから許せてしまう”関係は理想ですが、まずは自分の中に確固たる自尊心がないと、“好きになっちゃったから何をされても許しちゃう”みたいな状態になってしまいませんか?
鳥飼 あるある、特に若いうちはそういう“好きになったもん負け”の状態になりがちですよね。そうならないように自尊心をキープするのも自分の努力だと思います。そのためには、パートナー以外の友人・知人との信頼関係をちゃんと築いておくことですね。
恋愛している最中は、相手の評価だけが気になって、「彼氏だけいればいい」みたいな状態になりがちだけど、それってすごく危険だから。その恋愛が破綻したときに「誰にも必要とされてない」「私なんか生きてる価値がない」とか思ってしまうんですよね。私がけっこうそういうタイプだからわかります。
だからこそ、恋愛と同時進行で、それとは別に自分のことを色恋抜きで信頼・評価してくれる友人・知人との人間関係をきちんとキープしておくと、自尊心は保たれると思います。
引用元:AM-OUR(https://am-our.com/special/372/12974/)
ここは少し長いやり取りを引用させて貰った分、鳥飼茜さんの考えが伝わりますし、40代男性の私もこれまでと違って共感するところが多く含まれるお話でした。
かわいげは必要なのか?
いいパートナーを選ぶには「かわいげ」が必要である。
「かわいげ」を身につけるには、自分に自尊心を持つことが重要である。
鳥飼茜さんのこのロジックに関しては私はイマイチ理解が出来ませんでした。
個人的には「かわいげ」よりも思いやり的なものがある方が相手を許せるような気がするんですよね。
普段の生活で大切にして貰っているから、ピンチの時に助けてもらったから、みたいな恩があれば相手を許容できる
要するに「ギブアンドテイク」の関係が大事なのかなと思っています。
どんなにかわいげがあってもクレクレ君(テイカー)だと許容できない気がします。
コチラに関しては個人が大切に思っているもの、相手に求めているものの違いなのでしょう。
ダメンズが好きな女子などは相手にかわいげがあれば許してしまうのかもしれないですし、きっちりかっきりを求めている人はギブアンドテイク色が強くなっていくような気がします。
自尊心を持つ事と恋愛は有利になるのか?
「自尊心を持つこと、自分に自信をもつことが重要である」という点についてはとても共感します。
これは恋愛どうこう、パートナーどうこうではなく、人生を豊かに生きていく為に必要な事だと思うんですよね。
自尊心を持っている人は他人からみて素敵に見えますし、仮にパートナーが見つからなかったとして楽しく生きていけると思います。
逆に恋愛に溺れないスタンスで生きていった方が男女ともにモテる可能性は高そうです。
よく「既婚者がモテる」みたいに言われることがありますが、その理屈も恋愛に溺れないスタンスを顕在化しているからなのでしょう。
極度な恋愛体質のメンヘラちゃんは体の関係は結べると思いますが、信頼関係のあるパートナーを見つけるのは難しいという点からも自尊心を持っておくことは恋愛にとって有利だと結論付けます。
仕事と子育てにどのように向き合えばいい?
最後に「先生の白い嘘」とは直接関係なくなってしまいますが、鳥飼茜さんが思う仕事と子育てへの向き合い方についてHANAKOで受けたインタビューを見ていきたいと思います。
鳥飼さんが長男を出産したのは27歳のとき。目標としていた青年漫画誌で、連載に向けての話し合いが始まろうとしていた、その矢先の妊娠だった。ゆえに、母になる、という未来を目の前にして「これからまだまだ、やりたいことがたくさんあるのに、という焦りや不安のほうが強かった」という。しかも、妊娠がわかってすぐに切迫流産で絶対安静を医者から告げられ、そのまま切迫早産に移行。「ほぼ寝たきり」の妊娠生活を経験した。
「最初から最後まで家を出られず、身動きがとれなくなって、出産時の呼吸法の講習すら受けてない。体を起こすのもダメなうえに、厚めの雑誌を持つことすら体に負担がかかると禁止されたんです。それで仕事がしたいなんて何言ってんだって話しで、とにかく全部保留! と大きな力で時間を止められた感じでした。え? 私、今からなのに…… って。自分はそもそもわがままで、そのときは、こんなに自分の人生、妊娠出産に邪魔されるんだ、という発想になっちゃって。産んだあとも、思うようには生きられない時間が延々と続くかと思ったら、そんなこと笑顔ですんなり受け入れられるか! と」
母になるという人生の大転換を、どのタイミングで、どんな状況で受け止めるかに、万人共通はない。綿密なライフプランを描いても、計画通りになんて進まないものだし、現実になってはじめて、わかることもある。
「私の場合、まだ仕事も軌道に乗ってなかったし、産んだら簡単に『お母さん』に馴染もうとする自分が想像できたんです。子育てがあるからって思い込んでしまったら、もう自分の仕事なんてどうでもよくなっちゃうだろう、って。それが猛烈に怖かった。ここで漫画を諦めたら、一生自分が失くなってしまうような気がしたんですよね。それは嫌だ、私は母になるために東京に来たんじゃないぞ、と。だから一歩も動けなかった妊婦のときに、子どもが無事生まれたらこれまで以上にバリバリ仕事しようって決めました」
絶対に連載もとるし、自分の中に少しだけでも毒みたいなものがあるなら、それをどんどん作品に出して行こう、と覚悟も固めた。
「反発心ですかね。母は清い存在だと周りが見るなら、全部その反対をやろう、と。私はそういう人なんです。産んだ月に読み切りをひとつ描き、しばらくしてなんとか連載も始めました。産んだことが力になったっていうのは、いい話っぽくなっちゃうから違うんだけど、子育ての時間に自分の人生ごと持っていかれるのは避けたい。絶対に両方やるんだ、って。その思いが糧でした」
子どもが寝ている間にも描き、1歳を過ぎた頃に保育園通いが始まると、冷凍母乳を届けたりもしていたというから、両立のために、どれほどの気力と体力を使っていたかは想像に難くない。
「子どもが4歳くらいの頃から描き始めた『先生の白い嘘』という作品があるのですが、性の不平等を扱っていて、ああいう話が描けたのも子どもがいたから。親だから丸くなるというのが本当に嫌だった。でもどこかで、子どもが見ているから倫理的でなければならないというのもあって、人が言いにくいことは言いたいけど、倫理は通したい。それは強く思いながら描いてます」
常に自問自答してきたのは、自分にとって漫画を描くということは「そうまでして、やりたいことなのか」ということ。
「そうまでして、じゃなければ、しなくてもいいこともあるのかもしれない。子育てにはお金も必要だから働かなければならないという理屈も、もちろんある。それは絶対にあるんだけど、それとはまた別の、漫画家になるんだ、作品を世に出すんだ、というのは、そうまでしてなのか。何回も自問しました。でも、そうまでしてでも、と思ったなら、仲の悪かった自分の母親にも頭を下げるし、時間のやりくりは、なんとしてでもつける」
本人は「状況に流されやすい性格」というが、仕事に関しての意志は硬い。その意志を「試される」場面は幾度もあったと話す。あるとき、仕事の都合でどうしても子どもを見られないとき、公共の「保育ママ」の手を頼ろうと電話した。
「実は子どもは心臓に軽度の持病があり、行動制限も投薬の必要もないごく軽いものなのですが、定期検診は受けてて。保育ママに心臓のことを話したら、『そういう病気の子をもつ親が、自己実現のために仕事なんてどうかしているんじゃないの?』と叱責されました。最初はとんとん拍子で話しが進んでいたこともあって、びっくりして何も言えなくなり、ごめんなさいと謝って電話を切りました。そもそも私の仕事は自己実現なのか。自己実現とは何か、という話でもありますが、病気の子をもつ親はしちゃいけないって、自己実現ってわがままとイコールなの? 自分が自分らしくあるために、人が人らしくあるためにすることなら、それって悪いこと? 誰だって自己実現したいでしょ? それは応援できないの? と、すごく変な感じがしました」
その「変な感じ」は、時に仕事をもつ母親たちを下向かせる、暗雲のようなものだ。さしあたり大きな障壁はなく、子育ても仕事も楽しもう! と顔を上げて歩む人の上にも、垂れ込めることがある。
「いまの時代は少子化が社会問題と言われているわりに、子どもをもつことは自己実現の自己責任論だから、好きでもったんでしょ、なに贅沢言ってんの? ってすごいダブルスタンダードで、そこが一番つらい。社会復帰を応援、とか、母親の地位の向上、と言いながら、ちょっとでも自己実現要素を盛り込んだ人を叩くという。その足の引っ張り合いがなくなればいいのに、と思います」
ところで、鳥飼さんへのインタビューの〈前編〉では、子どもとの関係や、怒りのコントロールに悩んでいた時期の話しを聞いた。その頃の体験や、仕事を続けてきた経験から、同じようにいま「いっぱいいっぱいになっている人」がいるとしたら、どう声をかけるかを聞いた。しばらく間があり、鳥飼さんはこう言った。
「私もそうだったよ、って言うしかないかな……。アドバイスができるような子育てはしてこなかったから。一番キツかった頃って、本当はもっと『こうあるべき』という、ありもしないお母さん像と自分とを比べていた気がします。いつも優しく笑っていて子どもの言うことは全肯定、みたいなお母さん。息子もそっちのほうがいいと思ってるんだろう、ということに怒っていた。そんなの比べなければいいじゃん、で終わるし、誰もそんな母親像、あなたに求めてないよって話しだけど、言説というのは手強く、どんどん『像』をつくるから、それをひとつひとつ自分が捨てていくしかない」
友人に言われ、励まされたのは、「普通のお母さんはあなたには無理だよ」という言葉だ。
「一般的に、あなた普通じゃないから、って、やや褒め言葉というか、個性認められた感があるから、まんざらでもないように聞こえがちなんだけど、こと、子育てにおいての『普通じゃない』は、普通を満たせない自分に対するちょっとした絶望感がある。なかなか自分では認められないものなんです。でも、誰かにとっての普通でいるのは諦めよう。私は普通のお母さんじゃない。その言葉に自分自身が心底納得できたときから、解脱みたいなものが始まったような気がします」
引用元:HANAKO(https://hanako.tokyo/mama/358932/)
鳥飼茜さんの強さと人生観の分かる素敵なお話だったと思います。
私が心を打たれた内容についていくつかピックアップしてみました。
”反発心ですかね。母は清い存在だと周りが見るなら、全部その反対をやろう、と。”
私もこういったブログの執筆を始めたのが世間が提示するステレオタイプの男性像に対する反発心だったので、このあたりの気持ちはとても共感が出来ます。
日本に限った話なのか、そうでないのかは分かりませんが…
男性はいい会社に入って、仕事に人生の全リソースを投下して、妻子を養い、マイホームを購入し、定年まで働き払い続ける。
女性は結婚して、子供を出産して、母として子供に愛情を尽くし、育て上げ、家をしっかりと守る。
みたいな価値観がまだまだ色濃く残っていますよね。
この道に乗らない人間に対しての同調圧力が強いので、道から外れた人生を送るには反発心が必要になります。
子供も育てるけれども、自分の夢も実現してやるという強い意志はとても素敵だと思います。
”いまの時代は少子化が社会問題と言われているわりに、子どもをもつことは自己実現の自己責任論だから、好きでもったんでしょ、なに贅沢言ってんの? ってすごいダブルスタンダード”
ここも日本社会の悪い部分だと思いますが、日本人はなぜか自己犠牲が美徳とされます。
幸せにならない事を美徳としているという事は、相手の不幸を願っているというベースの考えが根本にあります。
ネットなどの書き込みを見れば分かりますが、成功した人に対しての妬みや嫉みは非常に強い国民なので、少子化を問題としておきながらも子育てのやり方などにクレームをつけて育てづらい環境を作り上げている矛盾が生じているんですよね。
そもそも子供を育てる事は自分を不幸にしてまでやらなくてはいけない事なのでしょうか…
過去の歴史を見てみると子供を生贄にする文化があったり、労働力として見込んで増やそうとした歴史があったりと決して現代のように子育ての為に親が全てを捨てなくてはいけないとなっている訳ではありません。
子供を虐待する事はいけない事だと思いますが、神経質なまでに滅私奉公を行い、自分を不幸にしてまでやる事ではないと思います。
相応の子育てを行ったうえで自分を幸せにする為の行動する事はより良い社会を作るためにはプラスになる事だと思うので、鳥飼茜さんのスタンスはとても好感が持てました。
まとめ
今回は先生の白い嘘の作者である鳥飼茜さんのインタビュー記事から「先生の白い噓」という作品、鳥飼茜さんという人間の人柄を深掘りしてみました。
鳥飼茜さんのような考え方をされる方はかなり少ないと思います。
それゆえに作品にエッジが効いていて面白くなっていますし、鳥飼茜さん自身も魅力的なのだと思います。
是非、一度「先生の白い噓」を読んで鳥飼茜ワールドを堪能して下さい。